佐渡の歴史は古い!?

2万年~1万7000年前

遺跡は、2万年~1万7000年前のものも発掘されているそうです。2万年前というと、
ウルム氷期と言われる時代ですね。日本だと旧石器時代の後半、縄文時代の前になります。

鎌倉時代(1185年頃-1333年)

そして時代は移って、鎌倉時代以降には当時の思想家や文化人が島流しされました。
日蓮聖人や世阿弥などが有名ですね。ただ、佐渡にとってはそうした方々のおかげで様々な文化が生まれました。

江戸時代

江戸時代、佐渡は幕府の直轄領でした(1603年)。特に金銀山で栄えた佐渡島。その金銀山を管理するためということもあり、相川に佐渡奉行所を置いていました。その佐渡奉行所には、行政を行う役所や金銀の精製を行う工場もありました。

現在は、当時の採掘方法が見られるように再現されており、大人も子供も楽しめます。また時代劇で、石の上に御座だけが敷かれてあり、一般庶民や犯罪者が正座しているシーンがあると思いますが、その場所も再現されており、降りて実際に正座することが出来ます。まあまあ痛かったです(笑)。ちなみに、さどまる倶楽部に入っていると無料で入館できますので、お得です。

江戸時代が始まる1600年頃に大久保長安が来たことで能が一気に広まったと言われています。今でも各地の神社には、能の舞台があり地域のお祭りで披露されます。少し話が変わりますが、雛人形の「五人囃子」は能が由来です。能の伴奏を囃子と言うそうですが、地謡(“じうたい”と読みます。)と楽器を演奏する4人から構成されています。この時、幕府が全国各地から大工や山師などを移住させたそうで、その結果として多様な文化を生んだ要因となったようです。

おばあちゃんと一緒に作るお団子です
おばあちゃんと一緒にお団子作りです

多様な文化を実感する一つとして、私の祖父母もイントネーションや方言が、関西弁に近い時があります。他にも、料理やお団子など、味付けや見た目が他の地域で作られたものと似たものがいくつもあるそうです。きっとそれぞれ別の地域から来られた方々が故郷の物を作り、それが家々で受け継がれてきたのだと思います。うちでは、毎年作ってくれる、シンプルなお団子でした。今も大好きです。

このように佐渡には多くの歴史があります。歴史好きな方にもきっと満足してもらえるのではないかと感じています。

佐渡国小木民俗博物館「千石船」

住所:〒952-0612 新潟県佐渡市宿根木270-2

佐渡国小木民俗博物館はこちら⇒http://shukunegi.com/spot/ogiminzokuhakubutsukan/

千石と聞いてピンと来る方は少ないと思います。石高という米の生産量を表す単位になりますが、一石=※150kgだそうです。なので、千石=150,000kgになります。逆にピンと来ないですね。。。この時期、物流が盛んになったこともあり、船が大型化されたそうです。

ここでは、「白山丸」という千石船が展示されており、船内も見ることが出来ます。非常に大きくて壮観です。ただ、夏場はクーラーはないため、見学した全員が汗だくでしたので、水分補給には気を付けてくださいね。
旧佐渡鉱山の案内板です
採掘場の様子です

真野御陵

順徳上皇が承久の乱により、佐渡へ島流しとなりました。その後22年ほど佐渡で過ごされたそうです。
真野宮は、順徳上皇を祀った神社です。全体的な雰囲気としては、穏やかにでも場所によっては厳正な趣を感じました。

佐渡金銀山

そして、この江戸時代から栄えた佐渡金銀山は、現在世界文化遺産登録を目指しています。
佐渡金山については、世界遺産の記事内でご紹介しています。

https://enjoysado.com/世界遺産について/

少しだけ佐渡金銀山について記載します。佐渡金銀山は、鶴子銀山、相川金銀山、西三川金銀山の3つの鉱山が対象となっています。2つのコースと2つのガイド付きツアーがあり、その内2つのコースについてです。良く行くのは江戸金山山絵巻コースである「宗太夫抗(そうだゆうこう)」になります。所要時間は30分です。こちらでは、採掘作業を再現されており、動く人形があり、その過酷さが伝わってきます。途中にセリフを言う人形もいるのですが、良く聞くとちょっと面白いのでぜひ耳を澄まして聞いてみてください。・・・ちょっと大人向けです。
もう一つのコースは、明治官営鉱山コースの「道遊抗(どうゆうこう)」です。こちらの所要時間は40分となっています。こちらでは約100年使用された坑道、トロッコなどがそのまま保存されています。平成元年まで操業していたので、比較的新しく感じるかもしれません。

小判が出来るまで

小判がどのようにして作られるかをみなさんご存知でしょうか?
採掘(さいくつ)→選鉱(せんこう)→製錬(せいれん)→鋳造(ちゅうぞう)→鋳貨(ちゅうか)の5つの工程に分かれています。そのすべてを手作業で行ってたそうです。そして、不正が起きないようにするため、全工程で奉行所役人が立ち会ったそうです。そうして完成した小判は江戸に送られたということです。

アバター

icchy-39

佐渡大使をしています。 佐渡に関する情報を中心に発信していき、少しでも佐渡に貢献できればと考えています。 初心者ですが、どうぞよろしくお願いします。

あわせて読みたい